火曜日, 5月 12, 2015

特別鼎談:チクセントミハイ博士×入山章栄氏×佐宗邦威氏 中編

ベルリンでは「都市の幸福度」の可視化が、もう始まっている

特別鼎談:チクセントミハイ博士×入山章栄氏×佐宗邦威氏中編


 入山章栄氏と佐宗邦威氏がイノベーションとクリエイティビティを包括的にとらえようとする本連載。前回、今回、次回は特別ゲストとして、ポジティヴ心理学の世界的な第一人者であり、フロー概念を提唱したことでも知られる米クレアモント大学のチクセントミハイ教授を迎え、イノベーション、クリエイティブ都市、テクノロジー、人の幸せなどに関して鼎談を行った。
 中編となる今回は、「クリエイティビティとテクノロジー」に関して、博士のフロー理論との関係を中心に進んだ鼎談の内容をお届けする。チクセントミハイ教授から具体的なヒントを多くいただくことになった。クリエイティビティを高めるためのテクノロジーに関心のある方に色々な気づきを与えてくれる鼎談となっている。
フィレンツェが体現する「クリエイティブ都市」の在り方



入山(早稲田大学ビジネススクール准教授):
 クリエイティビティが生まれる街づくりが、行政やメディチ家などの「ゲートキーパー」主導によって進行したという前編のお話はとても興味深いものでした。つまり「クリエイティブ都市はコントロールできる、人工的に創り上げることができる」と理解していいのですね。
チクセントミハイ:
 ええ、そうです。まさに約600年前のクリエイティブ都市であるフィレンツェで、当時のゲートキーパーであったメディチ家が行った宣言がそれを象徴しています。その宣言とは「誰もがその価値を理解し、破壊してはならないと思うような『美しい都市』を創る」というものでした。そして、それはフィレンツェが長きに渡って繁栄し、そして生き残るためにも貢献したのです。事実、第二次世界大戦でドイツ軍がイタリアを経由して撤退しようとしていた時には多くの都市が破壊されたのですが、フィレンツェの記念建築物の大部分は破壊をまぬがれています。
入山:
 フィレンツェの人々の卓越したクリエイティビティが、ドイツ軍人の心を動かしたというわけですか。そして、それが600年前のメディチ家の戦略的なビジョンに影響を受けていることに驚きます。
チクセントミハイ:
 そうです、メディチ家は戦略的に意思決定を行ったのです。彼らは「ただ見た目に美しい街を作りたいのではない。美しい街は破壊から我々を守ってくれるはず」と考えていました。加えて大事なことは、彼らが「芸術は人類のテクノロジーの最高の形態である」と認識していたことです。実際に1400年代のフィレンツェでは、建築と絵画において、当時、最高のテクノロジーが使われました。現在、芸術は必ずしも文化の最先端とみなされていません。むしろクリエイティビティは、技術や科学にこそ発揮されると考えられています。
佐宗(米デザインスクールの留学記ブログ「D school留学記~デザインとビジネスの交差点」著者):
 「芸術がテクノロジーの一部」だという視点は非常に興味深いです。一般には、芸術とテクノロジーはむしろ正反対のものと思われがちです。しかし最近は、技術とアートを融合させる動きや、アートと科学を融合させる動きも起こってきています。例えば、日本でいま話題の企業「チームラボ」は、まさに技術とアートを融合させています。
チクセントミハイ:
 芸術はテクノロジーの一種であり、優れたテクノロジーは芸術なのです。芸術は人の心を揺り動かし、「ワーオ!」と思わせるものです。かつての芸術は技術や科学と切り離されていませんでした。しかし、現代ではなかなか難しいでしょうね。
クリエイティビティのシステムモデル図1:クリエイティブ都市における芸術とテクノロジーの関係
©Junko Shimizu

ミハイ・チクセントミハイ 教授

1934年ハンガリーで生まれる。1956年にアメリカに渡り、1970年よりシカゴ大学心理学科教授、教育学教授を経て1990年よりクレアモント大学院大学教授、クオリティ・オブ・ライフ・リサーチセンター長を務める。「フロー理論」の提唱者として知られており、創造性や幸福に関する研究を行っている。

テクノロジーで街の「笑顔」を可視化できる時代

チクセントミハイ教授チクセントミハイ教授
佐宗:
 私達もテクノロジーとクリエイティビティとの繋がりについて、とても興味があります。ちょっと、この図を見ていただけますか?これは私が現代のテクノロジーと人々の関係についてのイメージを図化したものです。ご覧のように、現代ではとにかくたくさんの情報に触れ、多くの人とつながり、そしてセンサー技術やスマートフォンを使ってリアルタイムで世界中の人々の情報を得ることができます。
現代のテクノロジーと人々の関係図2:現代のテクノロジーと人々の関係
チクセントミハイ:
 おお、これは面白いですね。確かにルネッサンス期とはまったく異なる時代において、テクノロジーをどのようにクリエイティビティに活かすのか、またはその逆も、大変興味深いテーマです。
佐宗:
 そうなんです。クリエイティビティを発揮するためには、フロー理論で言われるように、ある事に特化して意識を集中させることが必要です。でも現代では、人が何かをすると、センサー技術・トラッキング技術で自分がやっていることを視覚的に気づかせてくれるようにもなりました。
 博士、あなたがフロー理論を作った時は、被験者の状態を把握するためにポケットベルを持たせ、その時の状態を記録してもらうことでデータを取ってらっしゃいました。しかし最近は、このようにウェアラブル・テクノロジーで、リアルタイムでのトラッキングやフィードバックができるようになりフロー状態の計測とフィードバックが起こりやすい世の中になってきていると思います。このように人が一つのことに集中しながらも即座にフィードバックも得られる時代に、人はどうやってセンサーテクノロジーをクリエイティブになるために活かせるのでしょうか?
チクセントミハイ:
 私はズバリの答えを持っていないのですが、ヒントになる事例を紹介しましょう。それはドイツのベルリンです。ベルリンでは、街の交差点に人の表情を認識できるカメラが設置されています。彼らはそこで行き交う人々を撮影し、その情報をコンピュータで即時に集約して、どれだけの人が笑顔でいるかを算出し、ビルの上に「スマイル(笑顔)マーク」で表示しているのです。これを見ることでベルリンの「街のムード」がわかるし、それと比較しての自分の感情も意識することができます。これには「Fühlometer(フローメーター)」という名前がついているんですよ。
「Monumental Interactive Smiley: Fühlometer」
佐宗:
 それはユニークな取り組みですね。「街が今何を感じているのか」「それに対して自分はどう感じているか」を理解する助けになるでしょうね。
チクセントミハイ:
 こんな事例もありますよ。数週間前のことなのですが、ノルウェーから2人の神経科学者が私を訪ねてきました。彼らは、人の頭部に設置して、その人の顔を撮影するカメラを開発しました。このカメラは、幸せな時・悲しい時に目や唇などの筋肉がどのように動くのかを分析し、6種類の基本的な感情を精密に測定することができるのです。
 そして彼らがこのカメラを使って、たとえばスキーヤーを分析すると、雪の上を滑り降りる最初は緊張、そしてその後すぐに驚きや恐怖、ついには幸福感が表情に出てくることがわかったのです。このようにフロー状態での熱中や興奮は、表情で測定できるのです。
入山:
  それはすごいですね!テクノロジーでフロー感覚を測れるということですか。
チクセントミハイ:
 まだ実用化はされていませんが、このノルウェー研究者の開発成果には、デザイン分野やゲーム分野など、コンテンツ制作に関わる人々の注目が集まっています。

なぜ「幸福感」はフローの後にやってくるのか?

チクセントミハイ
入山:
 表情からフローを測定することができれば、何らかの形でそれを意図的にコントロールことすらできるようになるのかもしれませんね。
チクセントミハイ:
 コントロールまでできるかは分かりませんが、まずフィードバックが得られますし、それが次の判断を助けることもできるようになるでしょう。フローは脳生理の「結果」ではなく、あくまで「原因」ですから。
佐宗:
 そういえば、博士の著書の中に「幸福感情はフローが終わった後にやってくる」という記述があります。確かに、とても密接に関係していますね。
チクセントミハイ:
 そう!そうなのです。それこそ生理学では、脳が認識する前から体に変化が表れると主張されています。たとえば、ピアニストに好きな曲と嫌いな曲をそれぞれ演奏してもらい、皮膚の下の表情筋の変化を測定した研究があります。
 この実験では、ピアノの演奏中には、弾いている本人も表面上は何の変化も感じません。ところが実際に皮膚の下の表情筋を測定すると、好きな曲を弾く時には、笑顔をつくる大頬骨筋が活性化しているのです。他方で、ピアニストはその瞬間には幸福感を感じません。演奏を終えて、その後で初めてようやく喜びを感じるのです。
入山:
 体では幸福を表す変化が先に起きるのに、脳ではまだ幸せだと感じていないとは驚きです!どうしてそのようなことが起きるのでしょうか。
チクセントミハイ:
 人が一瞬で処理できる情報量はたったの6ビットと言われています。1秒間に15回処理できるとして、6×15で約90ビットしか処理できません。ピアノの演奏など難しい作業に取り組んでいると、脳はこの90ビットをフルに使って処理する必要があります。ですから、幸せを感じるために情報を頭の中に流し込んで、「ああ、私は幸せだ」と処理させる余地が脳にないのです。難しい作業の最中に幸福感を感じにくいのは、注意力に限界があるからです。しかし、その身体的な記憶は残り、後になって「あれはやりがいがあった、素晴らしかった」と感じられるわけです。
佐宗:
 イノベーターに話を聞くと、彼らが何かに集中している時は、やはり「非常に困難なことをやり遂げようしている」と感じるそうです。強迫観念やストレスさえ感じることもあるようです。しかしその作業が終わると、一瞬ながら強い充実感を感じるといいます。まさにこの状態なのですね。
幸福感はなぜフローのあとにやってくる図3:幸福感はなぜフローのあとにやってくるのか
©Junko Shimizu
* * *