火曜日, 5月 12, 2015

特別鼎談:チクセントミハイ博士×入山章栄氏×佐宗邦威氏 後編



人事評価に「フロー」を使えば、日本企業はクリエイティブになる


特別鼎談:チクセントミハイ博士×入山章栄氏×佐宗邦威氏 後編

 入山章栄氏と佐宗邦威氏がイノベーションとクリエイティビティを包括的にとらえようとする本連載。前々回、前回・今回は特別ゲストとして、ポジティヴ心理学の世界的な第一人者であり、フロー概念を提唱したことでも知られる米クレアモント大学のチクセントミハイ教授を迎え、イノベーション、クリエイティブ都市、テクノロジー、人の幸せなどに関して鼎談を行った。
 後編となる今回は、「どうすればクリエイティブな組織は生まれるか」という疑問について、チクセントミハイ教授から具体的なヒントを多くいただくことになった。クリエイティブな組織・個人を目指す方に色々な気づきを与えてくれる鼎談となっている。前編はこちら、中編はこちら





職種や仕事内容によって異なる「フロー」に至る道のり




佐宗:(米デザインスクールの留学記ブログ「D school留学記~デザインとビジネスの交差点」著者):
 前回は、「芸術とテクノロジーは切り離せない」「クリエイティビティやフローを新しい技術で測定し、フィードバックできるようになってきた」「クリエイティブな人が経験するフロー状態は、その後で遅れて脳に幸福感をもたらす」など、さまざまなお話をいただきました。
 そもそもで恐縮ですが、「フロー理論」を知らないビジネスパーソンに向けてどのようなものなのかを今一度ご説明頂けますか?
チクセントミハイ:
 まずは「フロー状態」についてお話しましょう。簡単にいえば、フローとは、人がその時にしている仕事やタスクに集中して、時間も身体感覚もなくなるほどの状態になることです。「没頭」「熱中」しているといえば分かり良いでしょうか。
 フローには構成要素として、次の8つが上げられます。
  1. 明確な目的意識を持っていること
  2. 集中し、深く探求していること
  3. 体の活動と精神が融合し、無意識に動くこと
  4. 時間感覚が失われること
  5. 何かあったら自動的に調整すること
  6. スキルと難易度のバランスが合っていること
  7. 状況や活動を自分でコントロールしていること
  8. 本質的な価値を理解しており、活動が苦にならないこと
 これらすべてを満たしている必要はありませんが、大いに関係していると思ってください。
佐宗:
 はい、僕自身自分が「フロー」になっている瞬間に覚えがあります。でも、私の実体験からなのですが、職種や仕事内容によって「フローに至るまでの道のり」はまったく違う印象があります。もともと私は大学時代に法律を勉強していたんですが、その時は確実に達成できる目標を定め、コツコツと安定的に取り組んできました。そしてその時にも確かにフロー感というか、集中して充実感がありました。その後にキャリアチェンジして、今はデザインの分野で仕事をしています。すると今度は、解決できそうもない「より挑戦的なチャレンジ」をはじめから定めた方が、いい仕事ができるし、フロー状態になっている気がするんです。
チクセントミハイ:
 ほほう、なるほどそれは面白いですね。とりあえずは「フローになるまでの道のり」を、基本的な事例をもって説明しましょう。フローは「チャレンジレベル」と「スキルレベル」がちょうどいいバランスの時に生まれると考えられています。例えばピアノの練習を始めたとします。「低い挑戦」と「低いスキル」からスタートし、しばらくは「音を出す」という楽しみがあります。しかし、これはいわば「小さなフロー」です。しばらくすると飽きてきて、「つまらない」とか「もっと難しい何かをやらせてほしい」と思うでしょう。つまり、この図で言うと[A]から[B]に入ります。
フロー状態における「チャレンジ」と「スキル」の関係図1:フロー状態における「チャレンジ」と「スキル」の関係
※チクセントミハイ氏の講演資料を参照し作図
 そして新しい課題(チャレンジ)を与えられ、上手に演奏できたとしましょう。すると、[C]のフローに戻ります。そこで講師からさらに難しい課題を与えられると、意気揚々ととりかかるものの弾きこなせない…。とたんに落ち込み、今度は[D]の不安に陥ります。この時点で「いや、それは無理だよ」と諦める選択もできますし、どうしたら「フロー=[E]」に戻れるのかと考え、この挑戦をポジティブに捉える選択もできるのです。諦めずに「チャレンジ」する状態になる唯一の方法は「スキルを向上させる」ことです。
入山(早稲田大学ビジネススクール准教授):
 なるほど、すると佐宗くんの場合、法律を勉強していたときは、小さな振れ幅でスキルとチャレンジをこつこつと高めてフローを得ていたのかも知れませんね。図で言えば、AーBーCーDーEを、もっと小さなステップが多くある階段のような感じで右上に上がっていたのでは。それに対してデザインの仕事では、まさにこの図のように、より大胆なチャレンジを最初から設定して、それにあわせてスキルも大きく伸ばそうとしてフローを得ているのかもね。
佐宗:
 そう言われれば、そんな気もしますね(笑)。
チクセントミハイ:
 ええまさに、人や仕事の内容、環境などによっても「フローまでの道のり」は変わります。当人にとって挑戦なのか、そうでないのかが重要なんです。

フローに至る道-「チャレンジ」と「スキル」の関係

チクセントミハイM.チクセントミハイ
1934年ハンガリーで生まれる。1956年にアメリカに渡り、1970年よりシカゴ大学心理学科教授、教育学教授を経て1990年よりクレアモント大学院大学教授、クオリティ・オブ・ライフ・リサーチセンター長を務める。「フロー理論」の提唱者として知られており、創造性や幸福に関する研究を行っている。
チクセントミハイ:
 もっと高度なプロフェッショナルの例について紹介しましょう。私は、外科医の集団を調査したことがあります。彼らは基本的には「仕事好き」で、仕事の中に「フロー」が多く含まれている職業なんです。しかし、一部には手術に飽き飽きして、人工的な刺激、つまり競馬などの博打に過度に依存する人も少なくありません。
 そんな医者も、もともとはプロフェッショナルなマインドを持ち、例えば「盲腸の手術」に熟練したいと考えていたはずです。「徹底的に盲腸の手術のスキルを高めよう」と考え、盲腸の手術の練習に専念し鍛錬するわけですね。しかし、3、4年経って「慣れてしまう」と、「盲腸の手術」への情熱はすっかり忘れ、非常に退屈し、どうすれば刺激的な感覚を取り戻せるかが分からなくなってしまうのです。
入山:
 どこか日本の多くのビジネスマンの状況に似ていますね。彼らは一定の難易度をクリアして「慣れた仕事しかしない」状態に陥っているように感じます。その一方で、組織の中で様々な役割を求められ、情報過多になっており、またプライベートでは家族のためにも多くの役割を担っている人も少なくありません。そして日本人の特性として生真面目にすべてをやろうとします。
 どちらかというと疲弊している印象で、とても「フロー状態」になっているという感じではない人も多いと思います。となると裏を返せば、フロー理論から言えば、彼らの仕事を意義あることとして認識させ、新しい挑戦に向かわせることが重要なのでしょうね
佐宗:
 では、フロー状態をより効率的に得るにはどうしたらいいのでしょうか。今までの博士のお話だと、「スキルを上げて、チャレンジを引き上げる」もしくは「チャレンジするゴールを高く設定して努力する」の2つのアプローチがありますよね。この2つのアプローチはどちらが望ましいのでしょうか。
フロー状態に至る2つのアプローチ図2:フロー状態に至る2つのアプローチ
※チクセントミハイ氏の講演資料を参照し作図
チクセントミハイ:
 先程も申し上げましたが、まさにケース・バイ・ケースだと思いますよ。先ほどの図でいえば、ピアノの学習をはじめたばかりの時に、急に難しい課題を与えては、不安が勝って挫折してしまうかもしれません。そんな時は易しい課題でスキルを磨かせ、退屈するくらいさせればいい。逆にチャレンジが簡単すぎて、次々と突破し、だんだんそのリズムに飽きてくるようであれば、いつもより少しだけ挑戦的な課題を提供すると、少し無理してでも頑張ってスキルアップするでしょう。このように、人や課題の状況を見ながら、ベストなコースを選べばいいのです。
入山:
 2つの軸の間を、様子を見ながらスウイングさせるわけですね。
チクセントミハイ:
 このようなスウイングするルートを好む人もいるし、リスクを恐れて横軸右のルートを重視する人もいます。より冒険(縦軸の上方向)を好む人もいるでしょう。私たちは異なるルートを柔軟に使い分るべきなのです。

マネジメント層は「チャレンジ×スキル」を管理する

チクセントミハイ
入山:
 日本企業には「スキルは十分、チャレンジは不十分」という人が多くいる。だとすると、先ほど博士の示唆から、彼らに必要なことは「スキルは十分、チャレンジも十分」というスペースにくることということになりますね。
チクセントミハイ:
 そうです。人々がスキルだけの追究(横軸の右方向)に疲れてしまう前に、「チャレンジ」が与えられる必要があります。先の医者の例のように、多くの人はスキルの追究に飽きると、「給料分だけやればいいや」となって、チャレンジの対象を全く別のところに求めるようになります。ドラッグとか、ギャンブルとかですね。
佐宗:
 でも、会社がチャレンジを提供しようにも、先ほど入山さんが言っていたように、多くのビジネスパーソンが日常的に複数の仕事に追われ、そもそも十分に集中・没頭する時間や、大きなチャレンジを受ける余力がないという問題もあります。そういうビジネスパーソンに自らチャレンジに取り組むように促すには、どうしたらいいのでしょうか。
チクセントミハイ:
 私は、フローのコンセプトを使えば、彼らが行っていることを意義あるものに変えられるかもしれないと感じています。
 スウェーデンの州営交通会社の例を紹介しましょう。この会社は州にとって重要な存在ですが、125年間赤字続きでした。
 ある時、人事担当者が外部から採用されました。そこで彼はCEOを説得して、マネジャー全員にそれぞれ部下3人を選ばせ、ある種のピラミッド構造を作りました。そしてマネジャー全員に、2週間ごとに必ず3人の部下と面談する、という義務を課しました。そしてその際には、「その部下が仕事に飽きていないか」「不安を感じていないか」「フローでいるか」などをヒアリングして、マネジャーに記録させたのです。マネジャーたちはそれを見ながら、その人に合う仕事や仕事環境、必要なトレーニングなどを調整しました。その結果、この会社は1年後に黒字となったのです。
佐宗:
 なるほど!つまり、「スキルや実績」という客観的な指標を基にした面談ではなく、「フローかどうか」という心理的な面をベースにしたわけですね。その後、配置換えなどを行ったのですか。
チクセントミハイ:
 いや、配置転換までは行っていないのです。行ったのは記録してもらい、面談を定期的に行って、部下の仕事環境に多少の調整をしただけです。ただそれだけのことにも関わらず、仕事をさぼったり、仮病で休んだりという従業員が激減し、会社のモラルが劇的に向上したのです。そして、驚くほどに生産性も上がりました。実は当初、経営陣はこのアイディアをバカにして、面倒臭がっていたそうです。しかし、CEOが少なくとも1年間試してみようと言ってやらせたところ、大きな成果が得られたのです。
入山:
 それは面白いですね。一人ひとりの慣れや不安、熱中の度合いなどを見計らい、自分のフローのポジションを可視化したことで、的確な「チャレンジ×スキル」の高いステイタス、さきほどの図(図1、図2)でいえば、まさに右上の方向に導いたわけですね。実際に配置転換やチャレンジを与えるなどまでしなくても、「意識付け」でそんなに大きく変わるとは!これは多くの日本企業にも参考になりますね。
スウェーデンの州営交通会社のフローのマネジメント活用図3:スウェーデンの州営交通会社の「フローを人事評価に活用する」
©Junko Shimizu
チクセントミハイ:
 そうだとうれしいですね。君たちのチャレンジを楽しみにしていますよ。今日はとても楽しかったです。
入山・佐宗:
 個人のフロー状態から始まって、クリエイティビティの研究、そして、個人、環境、ゲートキーパーというクリエイティビティのシステムモデルまで昇華されてきた博士の一連の研究に、ようやく時代が追いついてきたと感じた鼎談でした。博士が描いた望ましい世界観をいかに実現するかが、これからの私達の課題になってくると思います。よい問いかけをいただきましてありがとうございました!
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