月曜日, 8月 26, 2013

ジョルジェット・ジウジアーロに聞く クルマをデザインすること


Giorgetto GIUGIARO|ジョルジェット・ジウジアーロ

Giorgetto GIUGIARO|ジョルジェット・ジウジアーロ
イル・マエストロ
ジョルジェット・ジウジアーロに聞く
クルマをデザインすること


イル・マエストロ。尊敬の念をこめて「巨匠」と呼ばれる自動車デザイナーが、ジョルジェット ジウジアーロ氏だ。さきごろ、7世代めにモデルチェンジした新型フォクルスワーゲン「ゴルフ」の日本での発表会のタイミングに合わせて、イタリアから来日した。自動車史に燦然と輝く、初代ゴルフをはじめ、数かずの名作を生み出した際のエピソード、フォル クスワーゲン グループ下で活躍する現在の活動、そして自動車デザインの未来について、特別なインタビューに応えてもらった。

 

デザイナーとはどんな仕事なのか

 

──好きなデザイナーはいますか

ジョルジェット・ジウジアーロ たくさんいます。ひとり? 困りましたね。日本にもヨーロッパにもイタリアにも、好きなデザイナーがいます。そのひとしかできないデザインをしているひとは、みんな評価しています。たとえば、フィリップ・スタルク、エットーレ・ソットサス、マリオ・ベリーニといったひとたちの名がすぐ思い浮かびます。



──そのひとたちは自動車デザインとは無縁ですが、ご自分のことは自動車デザイナーだと自己定義していますか
 
ニコンのカメラやオカムラの家具なども手がけていますが、仕事の70パーセント以上は自動車ですからね。

自動車のデザインと、たとえばサン・ベルナルド(イタリアのミネラルウォーター)のボトルのデザインとで大きくちがうのは、後者はこじんまりした組織でできるのにたいして、自動車は数多くのスタッフがかかわることでしょう。

もうひとつ、経済効果の規模がぜんぜんちがいます。しかし、デザインする喜びという点では、どちらもおなじですけれど。


──抽象的な質問になりますが、デザインとはなんでしょうか

イタリア語では、デザイナーに代わる言葉として、プロジェッタトーレとかスティリスタといいます。デザイナーはもっと広く製品にかかわる仕事をいいます。

自動車でいえば、メカニカルレイアウトやエンジニアリングや安全基準やエルゴノミクスまで分かったうえで、スタイリングを手がけるのがデザイナー。 
Fiat Panda|フィアット パンダ
私がフィアット「パンダ」(1980年)をデザインしたとき、フィアットからスモールカーの依頼が来て、どんな規格だろうとフタを開けてみたら、エンジンレイアウトもパッケージングもすべて白紙でした。

そこで私がゼロから構築していきました。
このように、1970年代からは、エンジニアリングを理解していることが要件となりました。





De Lorean DMC-12|デロリアン DMC-12
1975年 デロリアンによる唯一のクルマもジウジアーロのデザイン。映画『Back to the Future』に登場するタイムマシンとしても有名

 

美をつくる作業

 

──かつて、最高速度で歴史に残る自動車はないが、美しさで歴史に残る自動車は多い、といったひとがいました。自動車の美とはなんでしょうか

たしかに、そのとおりだとおもいます。美はひとの記憶に残るから、とても重要です。

いまは、クルマをデザインしようというとき、まずカテゴリーを考え、そのなかでいかなるパーソナリティを与えるかを考えます。フリーハンドでデザインするのではなく、寸法、重量、価格といった一連の条件を満たすことを前提にデザインします。いくらすばらしいとおもうデザインをしても、与件から外れていれば認められません。

自動車のデザインとは工業デザインなので、デザイナーの仕事は当然、このようなものとなるのです。

──美を創造するのは難しい作業ですか

私たちデザイナーは、当然、見るひとの心に残る美しいものを探しています。しかしたとえば大衆車のカテゴリーをみた場合、競合車は多いし、かつ、さきに述べた条件でしばられています。それをクリアしながら、ライバルとちがっていて、かつぬきんでた美しいデザインを実現するのはたいへん難しい。 
Alfa Romeo Brera|アルファロメオ ブレラ
Isuzu Gemini|いすゞ ジェミニ
微妙な部分で美を実現できたとひとりごちていても、ふつうの消費者にはその差がわからなかったりします。

それは、たとえばF1と似ていて、1位と2位といえば、実際はクルマのちがいは大きいのですが、それをタイムでみれば小数点以下3ケタほどの差でしかないのです。

スーパースポーツカーのデザインはまだやりやすいですが、誰からも美しいとおもってもらえるクルマを大衆車でデザインするのは、デザイナーにとって、大きなチャレンジです。






──初代ゴルフ(1974年)のときに、 同様の葛藤はありましたか
 
Volkswagen Golf|フォルクスワーゲン ゴルフ
あのクルマでもっとも大変だったのは、デザインの過程でいきなり、米国で採用された安全基準を満たすことが求められたことです。

たとえばウィンドシールド傾斜角をゆるやかにするとか、ノーズを短くするとか、とつぜん途中から北米の新ホモロゲーションに合わせて変えていく必要が出たので大変でした。

クルマのデザインとは見た目だけではない典型的な例です。


 

 

 

 

 

 

ゴルフ誕生秘話

 

──それにしても、初代ゴルフのデザイン はいまも古びません

裏話をすると、コンペの話が私のところに持ち込まれたとき、最初はなぜ私なのだろう、と疑問でした。ピニンファリーナだってあるのに、とおもいました。

フォルクスワーゲンに尋ねると、彼らは当時毎年開催されていたトリノの自動車ショーに足を運んでデザイナーの候補を探したそうですが、このデザインはいいねとピックアップした6台のうち4台のデザインを私が手がけていたのが、私を選んだ理由だったそうです。


──初代ゴルフをデザインしたときの話を もうすこし聞かせてください




はじめて(フォルクスワーゲン本社がある)ウォルフスブルグへ行ったとき、小さい部屋に通されました。そこにフォルクスワーゲンのエンジニアが大勢いまし た。

私は当時32歳で、彼らはきっと、“こんな若造がクルマづくりのことなど分かっているはずはない”とおもっていたのではないでしょうか。最初はそんな態度が透けて見えました。

そこで私から、溶接方法やコスト管理のことを質問したら、担当者は答えられず、電話で社内に問い合わせる始末でした。
──すでにコストを念頭においたデザイン の重要性を知っていたんですね

はい。私が68年にイタルデザインを設立したとき、パートナーのアルド マントバーニとともに、これから自動車業界では、デザインといっても、たんなるスキン(ボディのデザイン)にとどまらず、エンジニアリングやコストコントロールまで包括した提案として求められるだろうと、と見越していました。 
ゴルフ プロトタイプ 中央が正式採用となったジウジアーロデザイン
そこで私がフォルクスワーゲンに提出したゴルフの提案は、デザインにとどまらず、エンジニアリングやコストの面でも考え抜かれたものだったという自負があります。

でも、あのときのコンペでは、ポルシェをはじめ3つの代案があったなんて、昨日のゴルフの発表会まで知りませんでした。

(注:2013年5月20日に国立競技場に行われた新型ゴルフ発表会で、初代ゴルフのコンペに提出されたモデルすべての画像が公開された)  




Italdesign Giugiaro Parcour|イタルデザイン ジウジアーロ パークール
2013年 ジュネーブモーターショーにて公開されたSUVとスポーツカーのクロスオー バーというコンセプトモデル

 

 

イタルデザイン ジウジアーロとカロッツェリアの今

 

──2000年から、イタルデザイン ジウジアーロという社名で、フォルクスワーゲンの傘下にはいって活動していますが、グループ内での役割はいかなるものでしょうか


スタイリングの提案が主な仕事です。ニューモデル開発の過程で、フォルクスワーゲン傘下のブランドのデザインセンターと競合するモデル開発を担当したりし ています。



独立していた時代はエンジニアリングが主体でしたが、いまはスタイリングの比重が大きくなっています。スタイリングが20だとすると、エンジニアリングは3といった程度です。 でもかといって仕事量が減っているのではないです。なにしろフォルクスワーゲン傘下のブランドは数多くあるので、忙しさは変わりません。 


 ──これから自動車デザイナーを目指すひ とへのアドバイスはありますか

現在、フリーランスのデザイナーの数は減っています。“20代のジョルジェット ジウジアーロ”があらたに登場する可能性も少ないです。フォルクスワーゲンを例にとっても、本社以外にカリフォルニアにもベルリンにも上海にもデザインスタジオを持っています。

主要なマーケットをメーカーみずからがカバーしている状況で、駆け出しのデザイナーがオリジナリティを主張するのはとてもむずかしいことです。

昔は社長が“あいつにデザインさせてみたい”と言って、つるのひと声で、デザイナーが起用されるなんてことがなくもなかったのですが、いまはモデルが1台失敗すると、会社が傾くほどの損失をこうむります。それほど開発には巨額の投資をしています。

そうなると企業は安全策として、自社のアセットをよく理解している社内デザインスタジオを起用する方向へ流れがちです。だからデザイン学校を卒業して自動車デザイナーを希望するなら、まずは自動車メーカーに就職することを勧めています。




──ジウジアーロさんは、自動車産業がグローバル化して巨大化していく様子を、すぐそばで見ていたわけですね

私が日本の自動車メーカーの仕事をはじめた60年代は、まだ社内にはきちんとしたデザイン部が確立していない会社もあったりして、アドバイスなどいろいろな仕事がきました。

でもいまは自社のデザインスタジオを持っていないメーカーはなく、さらに冒頭から述べているように、デザインに求められる要件が厳しさを増しているため、 完全に社外では、おそらくデザインができなくなっています。 
重要な情報が出てこないこともありますから、やりにくさも増しています。  

ピニンファリーナやベルトーネはかつて一世をふうびしたカロッツェリアですが、いまは社内デザインスタジオの時代なのです。


Giorgetto GIUGIARO|ジョルジェット・ジウジアーロ
1938年、イタリアうまれ。カロッツェリア ベルトーネ、カロッツェリア ギアを経て、67年にイタルデザインを設立。手がけたクルマは下記のとおり(ごく一部)。BMW 3200CS(61)、ASA 1000(同)、アルファロメオ ジュリア スプリントGT(63)、アルファロメオ TZ カングーロ(64)、フィアット 850 スパイダー(65)、いすゞ 117クーペ(66)、マセラティ ギブリ(66)、ビッザリーニ マンタ(68)、マセラティ ボーラ(71)、アルファロメオ アルファスッド(71)、マセラティ ブーメラン(72)、フォルクスワーゲン(VW) パサート(73)、カルマン アウディ80 アッソ ディ ピッケ(同)、VW シロッコ(74)、VW ゴルフ(同)、デロリアン DMC 12(75)、アウディ 80(78)、BMW M1(同)、ランチア デルタ(79)、いすゞ アッソ ディ フィオーリ(同)、フィアット パンダ(80)、いすゞ ピアッツァ(81)、フィアット ウーノ(83)、サーブ 9000(84)、ランチア テーマ(同)、フィアット プント(93)、アルファロメオ ブレラ(2005)、アルファロメオ 159(同)。 2010年よりフォルクスワーゲン グループ傘下に入り、イタルデザイン ジウジアーロに。